ベッドの上に寝転がったまま、舞美は何をするでもなく無為に時を過ごしていた。
手足が戻ったからと言って、特にやることがあるわけではない。リトルを殺してゾワボの敵討ちをするつもりもない。
母親になるとは言ったがそれを守るつもりもなく、リトルが甲斐甲斐しく世話をしてくれたところで、心を開くつもりもなかった。
毎日を眠って過ごす。そうすれば、辛いことを考えずに済む。
そんな生活を続けることが、自分にとっても決して良くないことはわかっていたが、それでも舞美は気持ちを前に向けることができなかった。
――生きるのではなく生き抜く。
その言葉を胸に秘めて生きてきたが、今の舞美の支えにはならなかった。
ゾワボを失ったということは、自分の未来は決定してしまったも同然だ。
生きたところで意味はない。
自分の未来は決定されている。
それならば、何も考えずに寝て過ごしたほうが気楽だった。
「ごめんなさい、ギュスターヴ。でも、もう疲れちゃったの」
過去に想いを馳せる。
幸せだった日々。綺麗なドレスを着て、多くの姫達の中にいて、ギュスターヴに抱かれる日々を送った。
マリーとの二人旅になってからも、自分を不幸だと感じたことはなかった。
ゾワボから様々な真相を話されてからも、舞美なりに考えていた。自分がどう行動すべきなのかを、穏やかな生活の中で悩み続けていた。
だが、それらも全て無に帰した。ゾワボは殺され、今や自分はリトルに囚われたも同然の身だ。
絶望感から逃れるためには、眠ってしまうのが一番楽だった。
「私って、独りだとこんなに弱かったのね。長く生きて、それなりの強さは手に入れたつもりだったけど、結局私は誰かに支えてもらわないとダメな人間だったのね」
今の自分の姿をギュスターヴ達が見たとしたら、とても悲しませてしまうことはわかっていた。
自分を支えて来てくれた人々の努力を無駄にしていることなど、誰に言われなくとも理解していた。
だが、それでも辛かった。これ以上、未来に希望を持ちたくなかった。
何か大切なものを得て、それを失う恐怖を味わうくらいなら、心が死ぬまで眠っていたかった。
「……死にたい」
不老不死の肉体になって以来、初めて本気で思ったかもしれなかった。
未来に希望を持てない生は、あまりにも苦痛に感じられた。
「……殺して。誰か、私を殺して」
涙が溢れた。
生きていることが悲しかった。
自分だけ死ぬことができないという事実に、身も心も打ちのめされた気分だった。
「死にたい、のに……」
大切な人達が別の場所に行ってしまい、自分だけが取り残された気分だった。孤独が心を満たし、生き抜く力を奪い去っていった。
「ママッ!」
舞美の気持ちを完全に無視した、明るい声が部屋に飛び込んできた。
「ママ、持って来たよ! ママが食べたいって言ったカルボナーラだよ!」
「……………………」
舞美がベッドから体を起こす。しかし、その表情に喜びの色はない。
純粋な疑問が胸にわいた。
リトルは、どこで、何をして来たのか……。
「ほら、見て。これがカルボナーラだよ」
リトルがビニールの手提げ袋から出したのは、皿の上に大量に盛られたカルボナーラだった。丁寧にラップまでかけてあり、リトルが作ったものではないと一目でわかる。
「あなた……これ、どうしたの?」
「持って来たの」
「どこから?」
「カルボナーラがあるところ」
「それは……どこ?」
「えっと、ファミリーレストラン? そんな感じで言ってたと思う」
「あなた、ファミレスに行ったの?」
「ファミレス……って言うのかな? たぶん、そこだと思うけど」
舞美にとっては、あまりにも予想外の行動だった。カルボナーラが好きなのは事実だが、リトルが実際に持って来るとは露ほども考えていなかった。
「これを、お店の人に作ってもらったの?」
「うん」
「普通は……作って、しかも、持ち帰らせてなんてくれないはずよ?」
「そんなこと言われたけど、ちょっと脅したらすぐに言うこときいたよ」
「ちょっと……脅した……?」
嫌な予感がした。
リトルがファミリーレストランで何をして来たのか、ひとつの想像が頭に浮かんだ。
「あなた、お店の人を……傷付けたりしてないでしょうね?」
「え……?」
今まで笑顔だったリトルが、わずかに表情を硬くした。
「答えて。お店の人を傷付けたりしてないわよね?」
「う、うん……」
「本当に? 今からお店に行って確認することもできるのよ?」
「あう……」
「傷付けた……の?」
「だ、だって……」
カルボナーラの皿を持ったまま、リトルが明らかな動揺を見せる。
舞美が本気で怒っているのは、さすがに伝わったらしかった。
「あ、あるって……言ってるのに……でも、持って帰れないって言うから……ママと一緒に来ないと、食べさせないって言うから……でも、ママ、カルボナーラ食べたいって言ってたから……リトル、だから…………」
「質問に答えて! 人を傷付けたの!?」
「だって……だってぇ…………」
リトルの目に大粒の涙が浮かぶ。
自分が何故怒られているのか、それが理解できていない表情だった。
「殺したの?」
「ひ、一人だけだよ。いっぱいじゃないよ」
「……………………」
それ以上の説明は聞くまでもなかった。
リトルは店にいた誰かを殺し、それを脅迫罪利用としてコックにカルボナーラを作らせたのだ。
自分の不用意な発言がひとつの人命を奪ってしまったことに、舞美は怒りを感じずにはいられなかった。
リトルに対してよりも、自分自身に怒らずにはいられなかった。
「ママ……カルボナーラ……」
「……………………」
「は、早く食べないと冷めちゃうよ」
「……食べない」
「えっ?」
「それを……食べるわけにはいかないわ」
「な、なんで? ママ、これ好きだったんじゃないの?」
「ええ、好きよ。でも、それは食べられない。人の命を奪って持って来たものを、喜んで食べることなんてできないのよ」
「……………………」
「たぶん、こんな話をしても、あなたには理解できないのよね? どうして、他の人間の死と、それを食べないということが繋がるのか、きっとあなたにはわからないのよね?」
怒りを通り越すと、今度は悲しみが広がってきた。
もはや、リトルだけに責任を負わせられる話ではない。間接的には舞美が人殺しをしたも同然だ。
後悔してもしきれなかった……。
「あの人を殺さなかったら、カルボナーラ食べてくれたの?」
「……殺さなかったとしても、お金を払って買ってきたわけじゃないんでしょう?」
「リトル、お金なんて持ったことないもん」
「そうよね。そんな機会、きっと持つことができなかったのよね」
「だって、あれって変だよ。お金払わなくても、目の前にあるんだから取ればいいのに」
「それの何がいけないのか、あなたはそこからわかっていないのね」
「いけない、ことなの?」
「そう、いけないこと。人を殺すことも、物を奪うことも、お金を払わないことも、全部いけないことなの」
「でも、リトル……お金なんて……」
「そうね。お金のないあなたが、こういう行動に出るってことは、私がもっと想像するべきだった。誰にも被害を与えないように、もっと注意するべきだった。だから、あなたが人を殺したのは……私の責任よ」
「ママ……」
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