「ただいまー」
  今日のアルバイトを終えて、リトルはマンションの部屋へと戻って来た。
「お帰りなさい。疲れたでしょう?」
「あつーい。お風呂入るー」
  服の胸元をパタパタと動かしながら、リトルが脱衣所へと消えていく。
  舞美はそれを確認して、服を脱ぎ始めているリトルに問いかけた。
「リトル、今日は何の日でしょう?」
「はっ?」
「お風呂入ってる間に考えてなさい」
「えっ、なに? 今日、何かあったっけ?」
「それを考えるの。早く入って来なさい」
「えーっ、なんだろー?」
  リトルが考えながら、浴室に入って行く。
  考えても答えなど出るはずがなかった。
「よし、これで準備完了」
  リトルが風呂に入っている間に、誕生日の準備を整える。
  結局のところ、思い立ったが吉日とでも言うかのように、舞美は今日の9月28日をリトルの誕生日にすることにした。
「……なんか緊張してきた」
  浴室から聞こえるシャワーの音を聞きながら、舞美がごくりと息を呑む。
  喜んでくれないとは思わないが、リトルがどんな反応をするのか読みきれない部分があった。
  一応、プレゼントも用意しているのだが、果たして受け入れてもらえるかどうか。
  悶々とした時間を過ごしていると、やがてシャワーの音が止まり、リトルがリビングへと入って来た。
「わっ、ケーキ!?」
  リビングに入ってくるなり、リトルが驚きの声を上げた。
「すごい! しかもご馳走! 今日、何の日だっけ!?」
「ちゃんと考えてみた?」
「考えたけどわかんなかった」
「いいわ。教えてあげるから、そこに座りなさい」
「はーい」
  テーブルを挟んで、リトルが向かい側に座る。
  改めて正面から顔を見てみると、いつの間にか随分と大人びた顔立ちになっていた。
  子供の成長は早いとは言うが、リトルの場合はこの数年で急激な成長を遂げていた。
「それで、何の日なの?」
「ええ……実は、勝手に決めたんだけど……今日をあなたの誕生日にしようと思うの」
「え……?」
  まずは予想通りの反応。
  リトルがぽかんとした表情を浮かべて、完全に動きを止めた。
「言ってる意味わかる? あなたの誕生日」
「た、誕生日って、あれでしょ? 産まれた日のお祝いの……でも、リトルの産まれた日って今日なの?」
「知らない」
「し、知らないって……そりゃあ、ママが知ってるはずがないんだけど……」
「そう、知らないから、今まで誕生日のお祝いってしてこなかったでしょう? でも、別に本当の産まれた日にこだわる必要もないと思ったの。本当の誕生日がわからなければ、私達で勝手に決めて祝っちゃえばいいんだってね」
「それは……そうかもしれないけど……」
「嫌?」
「まさか。嫌なわけないよ。驚きのほうが勝って、ちょっと実感がないけど」
  リトルの頬がほのかに赤い。
  戸惑いつつも喜んでおり、同時に照れてもいるようだった。
「あ、でも、年齢は? 何百歳、おめでとうとか、それはそれでちょっと抵抗あるんだけど……」
「あら、そういうの気にするのね」
「気にするよ!」
  リトルがぷぅっと頬を膨らませる。相変わらず、何年経っても、こういうところは変わらない。
  そのことが、舞美にとってはとても嬉しく感じられた。どれほど成長しても、我が子は我が子だと思うことができた。
「年齢は考えてあるの」
「ど、どのくらい? リトル的には、十八歳くらいがいい感じなんだけど」
「残念。正解はこれ」
  そう言って、舞美がケーキに一本の蝋燭を立てる。
  それを見て、リトルはまた目を丸くした。
  一本だけの蝋燭が意味するものを、しばらく考えている様子だった。
「……一歳?」
「そう、一歳」
「え、ちょっと待って。それ、設定に無理あり過ぎない?」
「他の人には適当な年齢言っておきなさい。あくまで、今日から新しいスタートするって意味で、あなたは今日が一歳よ」
「考え方としてわからなくはないけど……」
  予想外のことの連続で、リトルが戸惑い続ける。
  しかし、そんな反応を見るのも、舞美にとっては楽しいことだった。リトルが見せてくれる様々な表情が、舞美の胸の中に沁み込んできた。
「……………………」
  だが、本番はむしろこれからだ。
  この先の展開は、舞美も緊張せずにはいられなかった。
  果たして、リトルはどんな反応を見せてくれるのか。喜んでくれるのか、それともそれ以外の結果になるのか。
  ごくりと息を呑んで、舞美は次の言葉を続けた。
「あとはね、プレゼントがあるの」
「プレゼント!?」
  リトルの表情がパッと輝く。
  こういう反応をするあたりも、まだまだ子供だと実感させられた。
「期待させたところ悪いけど、普通のプレゼントは、あなたのアルバイトがお休みの日に買いに行きましょう」
「普通のプレゼントは……? 今日のプレゼントは普通じゃないの?」
「普通、じゃないわね。ただ、ママにとっては意味のあるものだけど」
「ママにとって、意味のあるもの?」
「ん……」
  緊張が一気に襲ってきた。
  リトルに受け入れてもらえないのではないかと、そんな不安が大きくなった。
「ママ?」
「ん、ごめんなさい。緊張しちゃって」
「緊張?」
「あなたへのプレゼント、何がいいかずっと考えてたの。それでね、母親らしいものを贈ろうと思ったとき……普通の母親が、子供に最初に贈るものを、まだ贈ってなかったってことに気付いたの」
「普通の母親が……最初に贈るもの?」
「名前」
「え……?」
「あなたの名前、私を小さくした感じだから、それで名付けられたんでしょう?」
「それは……確か、そういう意味だったとは思うけど」
「だから、あなたに名前を贈ってあげたいと思ったの」
「リトルに……新しい、名前を……?」
「何がいいか考えたの。その上で、私にとって一番大切な名前を贈りたいって思ったの」
「……………………」
「最初に言っておくけど、あなたに彼女の代わりをしてほしいわけじゃない。私にとって大切だからこそ、今のあなたになら贈ってもいいと思ったから……だから、贈るの」
「それって……」
「あなたに贈る名前。それは………………」

「マリー」

  舞美から贈られる名を聞いて、リトルはぼんやりとした表情を浮かべた。
  喜びも悲しみもない。自分が何を言われているのか、まだ理解しきっていない様子だった。
  マリーと言う名が、舞美にとってどれほど意味のあるものなのか、それがわからないはずがない。
  今のリトルには、舞美の想いが痛いほど理解できた。
「どうかしら?」
「……で、でも、その名前って……あの人のでしょ? あの人が、い、生き返ったら……ほら、同じ名前だと、紛らわしくない?」
「マリーは生き返らせないわ」
「え……?」
「マリーは生き返らせない。私は、あなたと一緒に生きていく」
「い、いいの?」
「いいのよ。想い出はたくさんあるから。大切なのは過去じゃなくて未来。あなたと作っていく未来よ」
「リトルと……作っていく、未来……」
「もうリトルじゃないでしょう? あなたが受け入れてくれるならの話だけど」
「あ……」
  ようやく、リトルにも実感がわいてきた。
  舞美からの贈り物。
  新しい名前。
  それを受け入れるかどうかは、リトル自身に委ねられている。
「い、いいの? そんなに大事な名前……リトルが……もらっちゃっていいの?」
「あなただから……私の娘だから、贈りたいのよ」
「マ、マァ……」
「気に入ってもらえたかしら?」
「そんな、の……あたり、まえ……」
  涙が溢れていた。
  声が震えるほどに泣き始めていた。
「リトルは、もう……マリー……マリーで、いいんだよね?」
「ええ、そうよ……マリー」
「マリー……私の、名前……」
  そうして、しばらくマリーの涙は止まらなかった。自分の名前を何度もつぶやきながら、やがて口元に笑みを浮かべていた。
  そんな我が子を見つめながら、舞美もまた幸せそうに笑った。

  9月28日、マリーの一歳の誕生日。

  全てが幸せに包まれた時間が、優しく流れていった……。