舞美とリトルの生活は、数年ごとに遠方へ引っ越すような形で続けられた。
住んでいた場所に不満があるわけではないのだが、特にリトルが全く成長しないため、一つの場所に留まることができなかった。
日本、アメリカ、イギリス、フランス、オーストラリア。様々な国を巡り、なるべく自分達を知る人がいない場所で暮らした。
もっとも、舞美もリトルもそれを楽しみこそすれ悲観することはなかったため、自分達の人生における一種の楽しみと化していた。
「ねぇ、ママ。今度はエジプトがいい」
アメリカに住んでいた頃、ある日の夕食の席で、突然リトルがそんなことを言い始めた。
「エジプト? すごく暑そうなんだけど」
「ピラミッド見てみたい!」
「それなら普通の旅行にしなさい。住む場所は別にするわよ」
「えーっ、少しくらい住んでみてもいいじゃない」
「ママは暑いのは苦手なの」
「じゃあ、カナダ!」
「さっきはエジプトで今度はカナダ?」
「だって暑いの苦手って言うし」
「寒いのも苦手なの」
「ぶーっ」
サラダを口の中に詰め込みながら、リトルが頬を膨らませる。かなり本気で住みたいらしく、ジト目を向けて抗議していた。
「なんでカナダなのよ?」
「オーロラ見たいから!」
「それだけの理由なの?」
「うん」
「あのね、ものすごく寒いわよ。きっとあなたが想像してる以上に」
「どのくらい?」
「ものすごく」
「ママ、長生きしてるわりには語彙が少ないよね」
「黙って食べなさい」
生活は至って順調だった。リトルの教育も、舞美なりに努力していた。
何故、殺してはいけないのか。
何百年もの間、簡単に命を奪う生活を続けていたリトルにとって、それを理解するはの容易なことではなかった。
誰かを殺しても自分は痛くない。
誰かを殺しても自分は悲しくない。
それが、リトルの感じることの全てだった。
「リトルは、私が死んだら悲しい?」
命の尊さを伝える上で、舞美はあえてその質問をぶつけてみた。リトルにとって唯一大切な存在であるからこそ、自分が死んだときのこそを想像させた。
「ママ、死なないんでしょ?」
「そうね。今は死なない体ね。でも、もしかすると、長く生きていれば、自分が死ぬ方法だって見つかるかもしれない」
「やだっ! そんなのやだっ!!」
リトルの答えは想像通りだった。むしろ、想像以上と言えたのは、舞美の死を嫌がりながら大泣きしたことだった。
「死んだら会えなくなる。話もできなくなる。触ることもできなくなって、だんだん記憶からも消えていってしまう」
舞美はリトルの体を抱き締めながら、死がもたらすものを説き続けた。リトルはさらに泣いたが、説明を途中でやめることはしなかった。
何故、殺してはいけないのか。
大泣きをした日を境に、リトルはそのことについて考え始めたようだった。
死んだらどうなるのか。
遺された人はどうなるのか。
そもそも、何故死というものがあるのか。
人間の死と、それ以外の生物の死に違いはあるのか。
質問は驚くほど出てきて、舞美は毎日のようにそれらの回答に追われた。
「ママは……リトルが死んだら悲しい?」
ある日、同じベッド入って来たリトルが、舞美にそんなことを尋ねた。
「悲しいに決まってるでしょう。リトルがいなくなったら、もう会えなくなるんだから」
「じゃあ……あの女とか、あの男が死んだときも悲しかった?」
それは、舞美にとっては予想していなかった問いかけだった。名前を言わなくとも、誰のことかはすぐにわかる。
ゾワボ、そしてマリー。
かつてリトルが殺意を向けた、舞美にとってかけがえのない人達……。
「ええ、悲しかったわ」
「……………………」
「すごく悲しかった」
「……………………」
リトルは黙って聞いていた。
舞美の偽りのない答えを、静かに聞いていた。
大切な人が死ぬと悲しい。
そんな当たり前のことを、リトルはようやく理解し始めたようだった。
「リトルは……ママに悪いことをしたの?」
「……………………」
「ママが悲しむことをしてたの?」
「……そうね」
「あの人達のことが大切だから、あの人達が死んだら悲しかったの?」
「そうね。悲しかった」
「リトルがいても悲しかったの?」
「ええ、悲しかった」
「今でも……悲しいの?」
「……悲しいわ」
「……………………」
舞美の答えを聞いて、リトルがくしゃりと表情をゆがめた。
自分のしてしまったことを、後悔しているような雰囲気だった。
「リトル、いけないことしたの?」
「人の……何かの命を奪うことは、決して良いことじゃないわね。あなたがゾワボを殺したとき、私はとても悲しかった」
「あ……ぁ……」
その先はもう言葉にはならなかった。
リトルは、まるで子供のように泣きじゃくって、時折思い出したようにごめんなさいと謝った。自分の犯した罪の重さを感じながら、夜通し泣き続けた。
人を殺めた罪。
舞美が悲しかったという事実を認識してから、リトルの中で大きな変化が生まれた。
これまでの自分の生き方を思い返し、幾つの命を奪ってきたかを考えた。
全てを思い出せるはずはない。
むしろ、思い出せない殺人のほうが多かった。
人間だろうが動物だろうか昆虫だろうが、リトルにとっては大差ない存在だったのだ。
強いて言えば、人間のほうが苦しむ様子が明確にわかるので楽しい。そんな気持ちがリトルの中にあったことは事実だった。
「リトルが殺した分だけ……誰かが悲しんだのかな」
ある日のリトルの問いかけ。
舞美はやや言葉を詰まらせたが、自分の思ったことを正直に答えた。
「そうね。たくさんの人が、きっと悲しい思いをしたわね」
「でも……た、たとえば二人いたら、どっちも殺してたから、二人とも悲しくないよ」
「それは……その二人の家族が、とても悲しんだでしょうね」
「でも……でもでもっ……森の中で殺したこともあるから、その人達か殺されたってわかんないよ。だって……だ、誰にも見られてないんだもんっ!」
「そんなことはないわ。死体が発見されたかもしれないし、見つからなくても、本人達は帰って来ないんだから……。どこかで何かあったのかもしれないって言う不安は、遺された家族の人達はずっと味わうことになったはずよ」
「で、でも……死んだって、わかってないし、悲しくは、ないよね? 死んだってわからなかったら、悲しくなんかないよね?」
「リトルは突然私がいなくなって、ずっと帰って来なくなっても悲しくないの?」
「あ……」
自分のことに置き換えさせると、リトルはスムーズに理解ができるようだった。
誰かの命を奪ったという事実。
誰かを悲しませたという可能性。
それを理解するたびに、リトルは泣いた。自分に泣く資格などないことを認めながら、舞美に縋りつくようにして泣き続けた。 |