第5話 2/3P

  自分の罪を認められるようになってから、リトルは夢でうなされることが増えていった。
  いつか殺した男から、首を絞められながら犯された夢を見た。
  いつか殺した女から、包丁で滅多刺しにされる夢を見た。
  いつか殺した少女から、巨大な鎌で舞美の首を撥ねられる夢を見た。
  何度も泣いた。泣きながら目を覚まして、それが夢であることにホッとして、それでまた泣くといったことを繰り返した。
  生きることの苦しみを覚えたのは初めてだった。いつか夢で見たことが現実になるのではないかと、それを恐れるようになった。
  外に出るのが怖い。
  家の中にいても怖い。
  舞美と離れるのが怖い。
  様々な恐怖に襲われて、リトルの精神状態は次第に不安定になっていった。
「大丈夫。大丈夫よ」
  涙が止まらないリトルを、舞美は抱き締めながら頭を撫でてやった。
  そのくらいしか、母親としてできることはなかった。
  命の尊さを学べば学ぶほど、リトルは自分の犯した罪の重さに押し潰されていく。支えがなければ自ら命を断ってしまうのではないかと思うほどに、体も心も弱っていった。
「リトルが……笑ってたの……」
  ある夜、夢にうなされていたリトルを起こして、舞美が優しく抱いてやっていると、不意にそんな言葉が聞こえてきた。
「また、夢を見たの?」
「リトルが……笑ってたの……」
「自分がいる夢を見たの?」
「いっぱい……し、死んでる……人達が……血が……いっぱい、で……その、真ん中に、リトルがいて……わ、笑って……いっぱい、し、死んで……笑って……あ、ああぁ……」
「リトル……」
  重ねた罪が深い分、リトルの苦しみは舞美の想像を越えていた。苦しんでいる我が子に対して、母親として何をしてやれるのかわからなかった。
  ただ、抱き締めて、頭を撫でて、落ち着くのを待つことしかできない。
  自分が無力だと感じるしかなかった。
「ママ……リトル、どうしよう……いっぱい、殺しちゃって……ど、どうしたら、いいのかなぁ……どうしたら……ぁ、ぁ……」
「それは……」
  罪の償い方は難しい。
  そもそも、そんなものがあるのかさえ想像がつかないと言うのが本音だ。
  だが、何かをしなければ、リトルが壊れてしまいそうで、舞美は贖罪の方法を懸命に考えた。
「リトル、明日から何か良いことをしてみましょうか」
「良い、こと?」
「あなたが、自分のしたことを悪いことだと思うのなら、これからは良いことをしてみたらどうかしら?」
「悪いことをしたから……良いことを……」
「それで、あなたの罪が許されるのかどうかはわからない。もしかすると、一生許しなんかないかもしれない。でも、毎晩苦しんで泣くくらいなら、誰かの笑顔のために何かしてみない?」
「誰かの……笑顔……」
「ねっ?」
「……うん」
  リトルはまだピンと来ていなかったようだが、舞美の案を受け入れてくれた。
  それは、罪の意識から逃れたい一心だったのかもしれないが、今はそれで良かった。
  いつか、リトル自身が償いの方法を見つけられるまで、舞美はこの小さな手を引いていこうと心に決めた。

  翌朝から、舞美はリトルとともに『良いこと』を探し始めた。
  たとえば、前を歩いている人が落し物をしたとき、リトルにそれを届けさせてみた。落とし主は笑顔を浮かべて、リトルに礼を言ってくれた。
  たとえば、リトルと一緒に近所のゴミ拾いをしてみた。隣の家に住む老婆が、リトルのことを笑顔で褒めてくれた。
  たとえば、道に迷っている人に対して、リトルに正しいルートを教えさせてみた。相手はとても喜んで礼を言ってくれた。
  そんな日々を繰り返すうちに、リトルも良いことをする意味がわかり始めたようだった。誰かに礼を言われるたびに、笑顔を見せるようになっていった。
「良いことをすると、みんなが笑顔になるんだね」
  ある日の食事の席で、リトルが笑顔を浮かべながら言った。
「良いことをすると自分も楽しいって、リトル全然知らなかった」
「良かったわ。あなたも、そんなふうに感じられて」
  リトルに笑顔が戻ったのは、舞美にとって本当に嬉しいことだった。
  ルールで縛ったわけではなく、リトル自身が本当に命の尊さを理解し始めている実感があった。
  また、この頃からリトル自身にも変化が訪れた。自分や舞美が殺される夢を見ることもあるが、何も起こらない平和な夢を見ることも多くなった。
  舞美と一緒に出掛けた夢。
  隣の家の老婆と話をしていた夢。
  リトルが料理をして、多くの人々に振る舞っていた夢。
  朝、起きたときに笑えることが多くなった。
  だが、その一方で、悪夢の深さも増していった。まるで、リトルが幸せになるのを咎めるかのように、今まで殺した人々が声を荒げて責め立ててきた。
  そして、ある夜の夢は、それまで見た中でもっとも過酷な内容だった。
「キミは、舞美にとって一番大切な存在を奪ったんだよ」
  ゾワボと名乗っていたその青年は、静かな口調でリトルの罪を突き付けてきた。
「キミがボクを殺したことで、舞美はとても悲しんだんだよ」
  夢の中のゾワボに対して、リトルは何度も謝った。自分の犯した罪を謝り続けて、泣きながら目を覚ました。
  取り返しのつかない罪。
  もうゾワボの存在を舞美に戻してやることはできない。その事実を認めれば認めるほど、リトルは悩む時間が増えていった。

  果たして、どうやって舞美に償いをすればいいのか……。

  数ヶ月、答えの出ない疑問を抱えながら、リトルは『良いこと』をする生活を続けた。
  舞美をもっと笑顔にできる方法を、いつまでも考え続けた。

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