第2話 2/3P

「うん、ここがいいよね」
  手足を失った舞美をテーブルの上に置いて、リトルは向かい合う位置にある椅子に座った。
  舞美の手足は満足な治療さえ行われず、顔についた血を軽く拭っただけだった。テーブルに置かれた今も、傷口からは血が滴っている。
「よくも……ゾワボを……」
  手足を失って尚、舞美には意識があった。苦痛は感じていたが、それ以上に怒りが彼女の心を支配していた。
  不老不死の肉体。それが、舞美の命と意識を繋ぎ止めていた。
「ねぇ、ママ。お話しよっ。リトル、ママと話したいこといっぱいあるの」
「話すことなんてないわ。首でも斬り飛ばして、さっさと私の意識を刈り取って」
「えっとね……えっと、何から話そうかな」
  リトルの耳に、舞美の言葉は入ってこなかった。ようやく母親を手に入れたという満足感だけが、彼女の心を満たしていた。
  話は何時間にもわたって続けられた。
  今まで自分がどう生きてきたか。
  舞美のことをどれほど想っていたか。
  目を輝かせ、興奮しながら延々としゃべり続けた。自分の言葉をこれほど長く舞美に向けられたのは、数百年振りだった。
「勝手に話せばいいわ」
  途中、舞美は小さくつぶやいて、それ以降は何の反応も見せなくなっていた。まぶたも閉じて、起きているのか寝ているのかさえわからなかった。
  何一つ聞きたい話などない。
  このとき、舞美の心にあったものは、ゾワボがどこにもいないという喪失感だけだった。
  全ては油断から起きたこと。
  おそらくは、ゾワボも同じだったのだろう。舞美と共に生活するうちに、リトルの脅威から目を離し過ぎたのだろう。
  彼がどんな死に方をしたのか、想像するのはそれほど難しいことではなかった。
「あっ、そうだ。ママ、お腹空いてない?」
  話をするのに飽きたのか、リトルは突然そんなことを言った。
「リトル、ご飯持って来るね。この家、どこにご飯があるの?」
  リトルはそう問いかけたが、舞美からの回答はなかった。一切話すつもりはないという雰囲気が、彼女の表情から見て取れた。
「何か持って来るね」
  椅子から下りて、リトルは部屋を飛び出した。
  どこに何があるのかはわからない。しかし、普通の家にはキッチンと呼ばれる場所があり、この屋敷にもあることは想像できた。
  幾つかの部屋を回ったあと、リトルはキッチンを発見し、冷蔵庫の中から食べられそうなものを選んで部屋に戻った。

「ママ、食べたくなったら言ってね」
  案の定と言うべきか、リトルが持って来た食べ物を、舞美は口の中に入れようとさえしなかった。
  キャベツを丸ごと。
  バターの塊。
  瓶詰にしてあったイチゴのジャム。
  どれも、そのまま食べたいと思うものではなく、リトル自身もそれなりに食べられたのはジャムだけだった。
「ママ、これ甘くておいしいよ。ちょっとだけ食べてみない?」
  瓶の中から手のひらですくうようにして、リトルはジャムの塊を舞美の口元に近づけた。
  だが、舞美は頑なに食べることを拒み、それどころか目を開けようとさえしない。
  予想していなかったわけではないが、リトルは悲しげに表情を曇らせた。
「ママ、どうしたらリトルとお話してくれるの? やっぱり、怒ってるの?」
「……………………」
「ママ、なんでリトルのこと見てくれないの? どうして、本当の子供よりも他の人間のほうが大事なの?」
「……あなたは私の子供じゃない」
「子供だよっ! だって……!」
「私の子宮から造られただけ。私の体の一部を利用して生まれた生き物に過ぎない。そんなものを、私は自分の子供だなんて思えない。思いたくもない」
「ママ……」
  目を閉じたまま、舞美は淡々とした口調で話した。偽りのない本当の気持ちだった。
  リトルは自分の子供ではない。愛情どころか憎しみしか抱いていない。
  もしも、今手足がついていれば、舞美はリトルの喉を掻き切ることさえしたはずだった。
「……今日は色々あったもんね。ママにも考える時間とか必要だもんね。リトル、少し外に出てるね」
  果たして胸の内にはどんな感情を秘めているのか、リトルは寂しげな表情を浮かべて部屋を出て行った。
  本当に悲しんでいるのか、それとも同情を引こうとしているのか、どちらにしても舞美の気持ちは変わらない。リトルが何を求めて来ても、その全てを拒むつもりだった。
「ゾワボ……」
  孤独はすぐに押し寄せてきた。
  ゾワボが殺されたという事実が、舞美の胸に染み込んできた。
  恋人ではない。だが、心を許した存在ではあった。こんな形で別れが来るなど、想像もしていなかった。
「うっ……く……っ…………」
  リトルの姿がなくなると、我慢していた涙がこぼれ落ちた。両手がないため、指先で拭うこともできない。
  何故、こんな事になってしまったのか。
  どうして、あと一歩のところで失敗してしまったのか。
  これによって、ゾワボのこれまでの苦労が水の泡になったことを考えると、舞美はどう詫びればいいのかもわからなかった。
  すでにいなくなった相手に対する、謝罪の言葉を考え続けた。
「ごめん、なさい……」
  考えた末に出てきたものは、ありふれた言葉だった……。

 舞美がリトルに捕まってからの数週間は、瞬く間に過ぎていった。
  何もすることがないため一日は長く、そのほとんどを寝て過ごしていた。
「ママ、ご飯だよ」
  リトルは毎日部屋にやって来た。手足のない舞美の前で、色々なことを話した。
  もっとも、舞美は全く話を聞く気がなかったため、そのほとんどを覚えていない。リトルがどう生きてきたかなど、一瞬たりとも記憶に留めておきたくはなかった。
「ねぇ、死ななくても食べないと体が元気なくなっちゃうよ?」
「……………………」
「あっ、おしっこ出てるね。ちょっと待ってて。拭くもの持ってくるから」
  舞美がどんなに冷たく接しても、リトルは甲斐甲斐しく世話をしてくれた。
  食事を運ぶ。
  排泄物を拭う。
  風呂にも入れて体を隅々まで洗ってくれる。 寝るときには舞美の体をベッドまで運び、朝起きると新しい服を着せてくれた。
「ママ、トイレに行きたいときは言ってくれていいんだよ? リトル、ちゃんと運べるんだから」
「……………………」
「何度もここでしてたら、部屋に臭いが残っちゃうよ」
「……………………」
  リトルの言葉に、舞美は一切答えなかった。
  運ばれてきた食事も、一度として口の中に入れたことはない。そのため、もう何日も排便はしておらず、たまに性器から尿が漏れることがあるだけだった。
「ママ、これ……リトルが作ってみたの。カップのラーメン。ちゃんと、お湯が熱くできたから、味もちゃんとしてると思う」
「……………………」
「熱いうちに食べたほうが、おいしいよ」
「……………………」
  空腹は感じていた。
  リトルの前で腹の虫を鳴らしてしまったことなど、一度や二度ではなかった。
  だが、それでも食事をとる気はなかった。何も見ず、何も聞かず、何も喋らず、与えられたものの全てを拒むことが、舞美にできる唯一の抵抗だった。
「ママ……」
  リトルが箸で麺を摘まんで、舞美の口元まで運んできた。ラーメンの香りが鼻孔をくすぐり、思わず生唾を呑み込んでしまう。
  不老不死の肉体のため、数百年という時間を生きてきたが、これほど長期にわたって食事をとらないのは初めてかもしれなかった。
「ママ、食べて。ねっ?」
「……………………」
「ちょっとだけでいいから……ママ……」
「……………………」
「ママ……」
  舞美に食べる意志がないことを理解して、リトルが箸を下ろす。
  しばらく肩を落として黙っていたが、突然目つきを変えて舞美を睨んだ。
  同時に右手に鎌を出現させると、真横にそれを薙ぎ払った。
「うぐ、ぁ……ッ!!」
  膝の部分まで復元していた舞美の両脚が、太ももの部分で再び切断された。
  バランスを崩してテーブルの上で傾くと、ほぼ顔面から床に墜落した。
「ぶぎゃッ!!」
「まだ体は元に戻してあげられないね」
「がッ……ぎゃあぁッ!!」
  両腕も同じように切断された。
  この数ヶ月、復元がある程度進むたびに、舞美の体は斬られていた。
「ママが素直になってくれたら、元の体に戻してあげるんだよ?」
「う、ううっ……」
「ママの……ばか……」
  床の上で血まみれになった舞美を見下ろしながら、リトルは悲しげな声でつぶやいた。
  そして、舞美の体を仰向けにすると、そっと胸元に顔をうずめてきた。
「ママ、なんでリトルのこと見てくれないの? 他の人達はいいのに、どうしてリトルだけダメなの?」
「……………………」
「リトル、ママと一緒にいられたら、それだけでいいのに……」
  リトルの目から涙がこぼれ落ちる。
  舞美にとっては、本気でワケがわからない行動だった。
  手足を切り取っておきながら、どうしてその相手を求めて泣くことができるのか。
  頭が狂っているとしか思えない行動だった。
「……それとも、私が狂わせたの?」
「えっ? ママ、今なんて言ったの?」
「……………………」
「ねぇ、ママ。ねぇってば」
  その後、リトルはしつこく尋ねてきたが、舞美は頑として口を開かなかった。
  リトルのことを、一瞬でも哀れだと思いたくはなかった……。

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